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味読の人・Midoku n°1


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ダゲレオタイプの少女ポートレイト。

本を読むときにただ目で黙読するだけではたらず
人に聞こえないくらいの小さな声で慎ましい朗読をする人はきっと
味読の人なのだと思う。

写真を見るときにただ肉眼で見るだけでは足らず
虫眼鏡や老眼鏡に手が伸びたり
肉眼だけでも飽かずじっと一枚の写真を眺め続ける人もきっと
味読の人なのだと思う。

そしてじっと見続けて飽(あ)かない写真はきっと
何か閉じこめる容器の中にでもおかなければ
不安に感じるほどに手前から奥まで続く
生き物の身体のようななにかがある、と思う。

私は生き物に齧(かじ)られたり食べられたりするのは嫌であるけれど
静かな生き物を静かに眺めるのは楽しいと感じる。
かつその静かな生き物がふとしたきっかけから
あるいはきっかけも何も無いただの不条理から
凶暴な何者かに変身してしまうことを恐れる。

写真を見ているときもそのきもちは同じである。

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さて最も古い時代の写真の代表を一つ思い出してみましょう。

今日は一例として古い銀板写真'ダゲレオタイプ'daguerréotypeを見てみることにします。

私は少し前まで「古鏡玉屋」という商売が仕事でしたから
このダゲレオタイプをそういう「古鏡玉屋の目」でゆっくり見てまいりましょう。

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*ipone4で拡大撮影した古いダゲレオタイプを御堪能下さい。

イメージは短辺54mm長辺65mmの楕円形です。
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フォーカスはしっかりと両方の瞳にあっています。
注意すると焦点は後ろ髪にかけてなだらかに外れていくように感じます。
両方の瞳や前髪のほうが、
後ろ髪よりも尖鋭な印象である、
ということです。
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いすの背の左、中央、右の
焦点のありかたのごく微細な差異にご注目下さい。
椅子の背、左、中央、右では彫り物の描写のありさまがわずかながら違って感じます。
中央の彫り物にそれは顕著で
ぶれでもあるようにそれはわずかに落ち着きが無いありさまがみられます。
この微妙なありさまは古い人像用レンズの結像のなかでも、
焦点面の後方側によく見られる現象です。
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手に持ったパニエも手前から奥行きにむけて焦点が外れていきます。
焦点が奥に向かってモデレートにデフォーカスすることで
淡い奥行きをかんじさせます。
それに対してパニエの前半分の尖鋭なイメージには驚かされます。
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脚、靴下と靴にはしっかりと焦点が合っています。
椅子の奥にむかってなめらかに奇麗にデフォーカスしてゆきます。
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スカートに焦点が合っていて奇麗に椅子はデフォーカスしています。
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脚と椅子の背もたれ、少し離れて画像をみたところです。
フォーカスとデフォーカスによって美しく奥行きが描かれています。
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今度は椅子の手前部分と足元という観点でこの画像をもう一度みてみましょう。
椅子の手前に向かっていくデフォーカスと
椅子の奥に向かっていくデフォーカスとは
何かデフォーカスの空気感がわずかに違う、、、、
きがします。

このことは続編にて検討してみたいと思っています。

もしこの写真の手前と奥行きのデフォーカスの雰囲気に違いあるならば
それはこの写真を撮影したレンズの描写に
その原因があるのではないか、と疑ってみましょう。

レンズのデフォーカスの雰囲気がフォーカスしている面の
前と後で異なることは
オーソドックスなレンブラント風のライティングや
椅子の生地の肌理のせいではありません。
古い人像用レンズを使用した写真に良く見られる
むしろ定番的ともいえる現象なのです。
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もう一度、少し離れて画像を見てみましょう。
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古くて小さなdaguerréotypeです。
手前から奥行きにかけて美しい遠近が、
この小さな面積(およそ6x7cm判)の中に
「フォーカスとデフォーカスのなめらかで自然なる混在」を通じて
描かれていることに驚きを禁じえません。

このイメージを撮影した写真師の方は
レンズの結像が一番尖鋭な焦点のゾーンを良く知っていて
被写体の少女を小さな机を椅子の代わりに、
布張りの椅子を床の代わりに
手には小さな実に出来のよいパニエを持たせて、
その時代の最先端の明るい人像用の鏡玉(レンズ)の前にたたせます。

当時の人像用レンズは光軸に対して完全な平面では結像し得ない
不完全な性能であることはまったく普通のことでした。
その結像は仔細に観察すれば「再現性の零度」などからはほど遠く、
わずかに波打ち、かすかに渦を巻く、そういう描写です。
そして画像周辺部に向かい靡(たなび)くように
ヴィネット(減光)しながら結像することを放棄するのです。
そんな古い人像用レンズの御し難い(ぎょしがたい)焦点面に
少女を無理の無い自然なポーズで添わせている。
古典的な写真師の世界にはそんな見事な技芸があったのです。

この技芸によって被写体はうつくしく背景から浮かび上がり
私たちの前に恰も目の前の立体物のごとく蘇ってくるのです。

本邦においては写真の黎明であった幕末期前後に撮影された人物像が各地に残されています。
それらを機会があったら、じっくりとご覧下さい、、出来れば虫眼鏡を片手に!
それら銀板写真にもその当時の立体がなまなましいほど蘇っていることを、、、

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さて、この小さな少女を写し取った銀板写真の小世界は
アラベスクを思わせる型押し模様の皮革で装丁されています。

高価だった銀板写真をただ保護するのではなく
型押しの皮革、紙、ガラス、赤い布でできた扉は
その内側の銀板上のイコンを
何者からか護るのです。

左に四、右に六の葉と各々一輪ずつの花弁を持つ植物と
それをとりまく植物の繁茂を抽象化したモチーフの
アラベスク的な意匠よって
まるで愛撫するように静かに鎮護されているのです。
四葉、六葉の取り合わせもなにかの縁起にまつわるものなのでしょう。
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さらには、、、、

これまた小さな銀の鍵がかけられるようになっているのです。
「何か」がこの中でふくらんではみ出してしまわないように、、、

ダゲレオタイプの持つ魔術的ともいえる銀板上の
アンフラマンス(超越的な極薄)なリアリティは、
今でも多くの人を驚かすことができるでしょう。

同時にダゲレオタイプという新しい時代のフェティッシュ(呪物、物神)に対して
当時の人たちがタブロー(絵画)のアルバムに起源を持つ
「扉を閉じることを可能にする作法」を採用したことに
私は深い感銘を覚えずにはいられないのです。

2012-10-20井上武彦、記

©Takehiko Inoue 2012

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by fotochaton | 2015-03-24 08:51 | 味読の人